京都 蔵丘洞画廊

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京都ちょっとご紹介

伏見(1)

かつての港町 酒蔵の町伏見桃山をご紹介


水の質の良さと豊かさに恵まれた伏見。「伏水(ふしみず・ふくすい)」と云われ、「御香水」「金名水」「銀名水」「白菊水」など今も地下から湧き出ています。(下の写真は白菊水)


このように一般の方もお水を汲むことができます。(全てではありません)

酒造りにも大変適しているため伏見は京の酒どころとして有名。各酒蔵が守り伝えてきた製法で丁寧に仕上げた清酒は、お料理や一緒に飲む顔ぶれにあわせて愉しみたいもの。

あちこちに酒蔵が残り、ぷ~んとお酒の香りが漂います。

そして、明治維新のメインステージとなり、坂本龍馬が妻お龍との出会いの場でもある寺田屋

江戸時代は京都の玄関口として港町伏見は栄えていました。ここ寺田屋は船を待つお客が泊った船宿です。提灯は当時のまま掲げられているそうです。
幕末には、坂本龍馬が薩摩・長州との連絡に定宿として使いました。
明治維新のメインステージとなった場所です。
文久2年(1862)討幕急進派が寺田屋に集まり、決起を企てた「寺田屋騒動」は有名です。

現在も中を見学することができますが、こんなにこじんまりとした狭い室内でよく刀を振り回したものだと感心します。龍馬の部屋も残してあり、刀痕や弾痕が今も生々しく残っています。


当時の面影を偲ばせる外観。すぐ目の前は車が行き交う道路ですが、ほんの隙を狙って写真撮影する方の順番待ちも見ていて楽しい。



隣には石碑が置かれたお庭があります。

正面には坂本龍馬の像と、寺田屋騒動で散った薩摩九烈士の碑があり、その脇にも龍馬とお龍さんを結びつけた寺田屋の女将お登勢さんは百年祭を機に神となり男女の守り神として碑が建てられています。
ちょっと面白い場所。

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三十石船と十石船


柳が美しい

春には桜

豊臣秀吉は伏見の水路に大きく手を入れ、宇治川を伏見城のある山麓へ引き込み、大坂へと続く淀川と直結させ“太閤堤”と呼ばれる堤防を造って街道としました。築城のために必要な材木や資材を運び込むために伏見港を設け、人や物の従来がより活発となり大変栄えていきました。
今では考えられない小さいものですが、京都と大坂を結ぶ伏見港は一日になんと1,000艘もの船が行き交いました。交通の手段が次第に鉄道へと変わり衰退。
平成6年伏見開港400年祭を機に十石船、三十石船が復活し、面影を無ぐる船旅を味わえます。
(運航日要注意。伏見の地酒か酒カステラ付!!)


両岸の柳や花々を見ながら細い水路を巡ります。



夏の夜間運行では、水辺のライトアップも素敵です。


途中、昭和初期の土木遺産である三栖閘門で降り資料館を見学

閘門の展望台から見下ろした乗り場


閘門を越えて宇治川へ、そして淀川へと合流する。


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東光山 長建寺


竜宮門に迎えられる長建寺は、1699年創建の真言宗醍醐寺派のお寺。
京都で御本尊が弁財天というお寺はここだけ。
長建寺は中書島に近く、この中書島は戦前まで遊郭があり賑わっていました。
昔は芸の向上等を願った付近の遊女たちの信仰を集めていたそうです。
今も 「島の弁天さん」と親しまれています。

赤い唐風の土塀は伏見百景にえらばれています。



本堂には、本尊の八臂弁財天が安置されており、この寺の縁起とともに伝えられてきた古仏で、開運、財宝、良縁の仏様。
脇仏は珍しい裸形弁財天。



この独特の門は、江戸時代の建築学上貴重なもの。
下溝の部分に対して上溝の楼閣部分が極めて小さい独特のつくり。瓦も一枚ずつ小さくなっている。
また軒下も注目。京都では見かけない門です。


この鐘は、三十石船だけでなく人々へも“時を知らせた”鐘です。


伏水「閼伽水」で清める。
とてもこじんまりとしたお寺ですが、 四季折々にさく花々も楽しみの一つです。


長建寺の目の前には十石船の乗り場があります。

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お土産や休憩に

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町の公園

子供達が全然いません。



ツツジが咲き、たんぽぽやクローバー、立派な藤棚まで。。 子供が遊ばないから大きな広場は草が和え放題でした。



当画廊より徒歩10分の京阪三条駅より伏見桃山駅、又は中書島駅下車

(桃山は見所いっぱいです。今回は駅より西側をご紹介しました。次回東側(伏見桃山城や桃山御陵など)をご紹介します。)

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