京都 蔵丘洞画廊

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絵と人に出逢う

乞食と言われた須田剋太

2020年7月

70代半ばの須田剋太さんの思い出を一つ。
書家の榊莫山氏は長年大阪での仕事場を構え、著作活動もしていたが、生まれ故郷の伊賀上野に帰郷定住することになり、親しかった在阪の友人や作家、極少人数に声がけして伊賀の山居で茶会を催された。

招待客は大手企業家や新聞社の大物に混ざり、当時既に高名であった須田剋太さんがいた。
一足早く山居に着いた須田さんを挟むような格好で財界の人たちが座すことになり、歓談されていたが無論須田さんにとり、彼らの話が面白いわけなく、ぶすっとした表情で沈黙を決め込んでおられた。
そこへ若き日の私は運転手よろしく画家の和気史郎さんをやや遅れてお連れした。
和気氏は真っ直ぐ須田さんに歩み寄り「お久しぶりです」と、すると須田さんはすぐに思い出せずにサングラスに手をかけ相手をのぞき込まれたその時、くだんの和気氏は大きな声で「先生が乞食されてた時にお尋ねしました和気です」と。
その場に居合わせた方々の空気が瞬間凍り静寂が覆ったが、彼は突然立ち上がり和気氏の手を両手で抱き込んで大きな声で「君は僕が乞食生活だったことを知ってくれてたか!」と感嘆されました。 その様子を呆然と目撃した私は、芸術家ってなんて素敵な人達なんだと感激したことを昨日のことの様に思い出しました。
ちなみに和気氏は東京藝大卒業時に恩師安井曾太郎先生に「君はエリートだが画家としての生涯が保証されたわけではない。(芸大を何度も落ちた)須田剋太という方がおられる。壮絶な生き様にありながら、なお画家としての道を目指しておられる。」と言われたことが記憶にあって、若き日、自身も京都の大山崎の山中暮らしを経験していた彼は、関西に流れ着いた同様の境遇で、当時30代の須田氏を尋ねたそうだ。

 

蔵丘洞主人 岡拝